歩んできた軌跡
~ our histor ~
始まりのストーリー
希望の芽吹きと宿った炎
私がこのサービスを提供するようになったのは、理学療法士としての絶望から始まりました。
私が学生だった頃、スポーツトレーナーという職業が脚光を浴びていました。
その中でも人体を知り尽くしたスペシャリストである理学療法士が、一流のアスリートとタッグを組む、
スポーツリハという領域に憧れを抱いてこの世界に飛び込みました。
プロスポーツ選手の傍でメディカルサポートを提供する理学療法士は輝いていて、
「自分もあの場で活躍したい!」
と強く思うようになりました。
学年が上がっていくごとに専門的な授業が増え、人体の基本を知らずしては理解できない整形外科の知識や、人体の司令塔とも言える脳機能や神経機能についての知識を学びを深めると同時に、その領域が病に侵されることで人体に取り返しのつかない影響を与えるということを理解しました。
臨床実習があり、実習先の病院にはスポーツに関する患者さんはいないと事前に聞いていたので内心残念な気持ちがあったことを覚えています。
しかし、実際に病と戦う患者さんを目の当たりにして、そんなよこしまな気持ちは吹き飛びました。
それどころか、授業で理解していたと思っていたことの浅はかさに情けない気持ちでいっぱいになり、目の前の患者さんへの申し訳ない気持ちが溢れて涙が出てきました。
人体の構造を知って、機能を知って、病を知って、わかったつもりでいたことは、
病院のリハビリ室で懸命に努力を重ねる患者さんたちが抱える心の内を少しも理解できていませんでした。
この時から、私の心には、いまもなお燃え続ける炎が宿りました。
「本当に困っている人を助けたい!」
「この人たちのために生きていくんだ!」
心からの叫びでした。
いま思うと“助けたい”という表現はおこがましいかもしれませんが、当時は胸の奥から湧き上がる想いでいっぱいでした。
このときの想いを胸に、十余年ひたむきに走り続けてきました。
平坦な道だったことなど一度もなく、毎日が汗と涙でぐちゃぐちゃになりながら、ただただ、
「困っている人を助けたい」
それだけで進み続けました。
初めて担当した患者さんが退院する時、泣きながら抱きしめてくれた時のあたたかい温もり。
「君は将来すごい人になるよ」と60歳以上も歳が離れた若造なんかに希望を与えてくれた言葉。
落ち込んでいた時に「仕事とか抜きにしてゆっくりしていきな」と優しく包み込んでもらった心。
情けないくらいどうしようもなかった私は、挙げるときりがないほど、本当にたくさんの方に支えてもらいました。
そうやって数えきれないくらいのご縁に恵まれ、助けてもらってばかりだった私は変わって行きました。
そして、身体のスペシャリストとしての理学療法士から、
患者さんを支え、励まし、希望を灯す、心の理学療法士へと成長させてもらうことができました。
そこからの【信念を形にする】道のりは遥かに険しかったですが、それまでに貰った患者さんたちからの言葉の数々が私の背中を押してくれました。
そのおかげで何度も高い壁にぶつかっても、諦めずに乗り越え、
時には制度や法律の隙間を縫って、できることはなんでもしてきました。
びっくりするくらい、本当になんでもしました。
そうやっていくうちに、知らず知らずのうちに心と身体を繋ぐ理学療法を感得し、
振り返れば理学療法士という壁も乗り超えている自分に気づきました。
乗り超えてきた経験やものにしてきた治療技術によって絶対の自信が身につき、
そして過去から現在に至るまでの患者さんたちの言葉によって、どんな時でも感謝を忘れない謙虚さを兼ね備えた頃、転機が訪れました。
人生を変える大きな決断
そんな、心と身体を繋ぐリハビリを提供する私に対して、
特に在宅でのリハビリに関して、絶対的な信頼と安心感を得ていた私のもとには、
ありがたいことに沢山のケアマネさんから依頼が寄せられ、
”依頼、即改善”
という状況だったため、同じ事業所の理学療法士の10倍以上の新規依頼が舞い込んでいました。
風の噂で評判を聞きつけてサービス提供地域外から依頼が来たり、
ケアマネさんの実母の依頼を受けたりと、順風満帆で充実した日々を過ごしていました。
そんなある日、ふと自分の中で『リハビリテーション』の終着点が見えてしまいました。
「結局、心から本気で取り組みたいと思っている人はいないんだな」
もちろん、みなさん良くなりたいと思っているし、努力しているのは理解しています。
だけど、どこか本気に感じられなくなってしまった自分がいました。
すべてに対して虚しさしか残らなくなっていました。
「もう歳だから…」
という何百回聞いたかわからないフレーズ。
「“とりあえず”続けて」
という目的も目標も曖昧なリハビリ。
「でも」「だって」
という他人任せで無責任な態度。
そんな言葉を聞くたびに、虚しさが募っていきました。
事業所も商売なので、そうやって希望する人は安定した収入源として迎合し、
それに甘んじて、なにも変わらないリハビリを提供する上司や同僚たち。
「本当に困っている人の力になりたい」
それだけを胸にやってきた私のすべてを否定されたような感覚でした。
誰も信じられなくなっていく恐怖に、
どんなに足掻いても変わることのない現実に、
そしてなにより、
その現実をどうすることもできない無力でちっぽけな自分自身に絶望して、
惜しんでくれる声や引き止めようとしてくれる声を背にして、理学療法士を引退することにしました。
招かれた舞台と開かれた扉
理学療法士を引退しても、当初の想いは色褪せることなく、むしろ、さらに強く、色濃くなっていきました。
「本当に困っている人の力になりたい」
「人生を変えるお手伝いをしたい」
「希望を胸に、共に歩んでいきたい」
バージョンアップした想いを胸に、
舞台は”生まれながらに障害を抱えた子どもたち”へ移っていきました。
私自身、4人の子の親でもあり、もともと大人らしい雰囲気は持ち合わせておらず、
恥ずかしい話ですが、「あなたが一番上のお兄ちゃんでしょ?」と言われてしまうくらいなので、
新たな舞台で出会った2〜6歳の子どもたちとの相性は抜群によかったです。
しかし、そこで私の想いはなぜか空回りします。
子どもたちとの歯車が噛み合わないのです。
毎日楽しく遊んだり授業をすることはできても、想いが噛み合わない。
そして、なんというか、ずっとある違和感とともにひとつの疑問を持ち続けていました。
「この子たちは、困っているのだろうか?」
自由で自分らしくいられることを矯正して社会のルールに適応できるように導く?
確かにそれはこれから必要となることなのかもしれません。
だけど、私が目指してきたのは、
“障害によって自分らしく在れない人を自分らしく輝かせるリハビリテーション”です。
どんな時でもその人らしさを取り戻すために尽力してきました。
そう思った時、ふと悟りました。
”子どもたちは困っていないのではないか”
悩みや不安を抱えているのは、実際には親御さんであって、
子どもたち自身はあたりまえの世界を生きているだけでした。
その子どもの世界の中に、世の中のルールといった窮屈な枠組みを押し付け、閉じ込められることに対する反発が、問題行動(とされているもの)になって現れているように見えました。
このような周囲からの視線や圧力、期待や不安などの目には見えない“なにか”が心に作用し、様々な難解で理解できない行動として現れることに対して、言葉で表すことのできない神聖なものを感じました。
それと同時に、新しい可能性を感じました。
そしてこんなインスピレーションが降りてきました。
『心と魂が繋がっていない』
発達障害の子どもたちの身体は心のままに動きます。
だけど、魂が本当に望むことと心が繋がりを絶たれることに対して、一種の防衛反応として問題行動が引き起こされているのではないか?
思い返してみれば、心と身体を繋ぐリハビリをしていた時に感じていた『本気に思えない』感覚は、
魂が本当に望んでいることと、心が望んでいることが繋がっていなかった。
逆に、魂と心が繋がった状態では驚くような速さで身体が改善していった。
心と身体と魂を意図して繋ぐ方法は存在しているのだろうか?
そんな疑問を追求しながら、もうひとつ、長年ずっと疑問に思っていたことが強く浮かび上がってきました。
【この世を生きる苦しみ】についてです。
辛さや苦しさを経験することには、どんな意味があるのだろうか?
この2つの問いを掘り下げていくにつれ、目に見えない"なにか"からの導きを感じるようになりました。
この感覚を信じて、ゼロから新しい学びを始める決意をし、目に見えない世界に真摯に向き合ってみる覚悟を決めました。
(正直に言うと、私自身はこの“目に見えない世界”に対して疑念を持っていて、ネガティブなイメージが強かったため、とても勇気がいる選択でした。宗教的なものかもしれないと不安になったり、怪しい壺を買わされたらどうしようという思いもありました)
不安と覚悟が入り混じったなかではありましたが、どういうわけか真剣な学びを深めていく機会に恵まれ続けました。そして、“自己の内面の成長=魂を磨く”ということの意味とその本質を得て、仕事や人間関係、家族関係という日常生活を通してどのよう実践するべきか学びます。これを継続していくことは正に修行と呼ぶに相応しい厳しいもので、チベットの山奥で修行する人たちやお寺の修行僧がなにを目指して厳しい環境に身を置いているのかもおのずと理解していくことができました。
この厳しさ故に、中途半端な覚悟だとせっかく成長の機会が訪れていても気づかず素通りしてしまったり、
なにかと理由をつけて避けてしまったりして、見えない大きな壁を乗り超えることができない人を何人も見てきました。
それでも私は、
「困っている人の力になりたい!」
という想いから自分自身と向き合うことから目を逸らさずに研鑽を重ねていくことが出来ました。
やがてその想いはより大きなものとなって私へ返ってきました。
「世の中に貢献したい」
振り返ってみれば、奉仕の精神の核である利他の心が目覚めていて、その生き方が本当にできるのかどうかで篩(ふるい)にかけられていたのだと思います。
何度も学び、実践する。この繰り返しの中から、知らず知らず大きな成長を遂げ、そこから幾重にも魂の進化を重ねました。そうして振り返ると、そこには見えない世界に干渉する許可や見えない力を扱う力を授けられた自分自身がありました。
そしてようやく、探し続けていた疑問『辛さや苦しさを経験する意味』の答えまでをも見つけることができたのです。
受け取った招待状と与えられた天命
世の中に貢献すること
これは、私に与えられた使命であり、私が存在する意味そのものです。
あなたの心の奥に眠る希望の炎を再び灯すところから始まります。
どんなことがあっても私は決して諦めません。
私は誰よりも、あなた自身よりも、あなたのことを、あなたの可能性を信じています。
そして、いま、その力をすべて解放して、
あなたの人生に寄り添い、共に進んで行きたいと心から願っています。